「宗教は生者のためにありよくできているのだなあという気持ち」
・こういうときなので普段より真面目に仏教やさまざまな信仰について考えることもあります。
- 作者: 小舘衷三
- 出版社/メーカー: ニュートンプレス
- 発売日: 2000
- メディア: 新書
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・信仰は人の暮らしや心に寄り添う形をしているものです。生者のための儀式であるお葬式など最たるものです。現世利益とか水子供養とかだってそうですね。「人は死んだらどこに行くのか」は現代科学でもなお説明できていないのでそういうところでやっぱり宗教が必要になってくるわけです。
・私としては「効果のない迷信も実害や論理矛盾が起こっていなければ必要であるといえる」というスタンスを取っています。ささやかなる信仰心
・たとえば、「おいしい湧き水(実際はごくふつうの水)を毎朝飲むと健康にいい」という人を私は止めませんが、「水に寄生虫や有害物質が含まれている」なら水を飲むのをやめるように言うし「おいしい湧き水をお前も毎日朝5時に飲め」「水を1杯1万円で売る」などと言われたら拒否する。
・健康のために水を飲んでいるはずが寄生虫にやられる、というのは"実害"であると同時に目的のための手段が逆効果になってしまうので"論理矛盾"として形容しています。
・ところで日ごろから日本的な宗教的物事について考えているとはいえ久しぶりに仏教の本来の用途 #? に接しているわけですが渦音Pハウスの菩提寺は真言宗なんですよ。真言宗といえばソワカちゃんです。「○○系とは相性よくないの」の真偽については流石に聞く暇がなかった。